アメリカ合衆国、カリフォルニア州に留学してはやくも5年が経とうとしています。
そして今日、日本にいる父からの手紙が届きました。
父独特の筆跡で、読みづらい部分もありますが、それがまた父らしい。
池上家の近況報告と父の人生講座のような哲学を含んだ言葉で便箋四枚ほどの手紙でした。
最近は色々と考えるところもあり、上手くいってるとはとても言いがたい毎日。
日本の家族とも疎遠になり、心配をかけたでしょう。
留学の原点とは何だったのだろう。あの時の気持ちは忘れたことはない。
『あの時の僕はこういう気持ちで何がしたくて留学にとういうことを求めて来たんだ』という事を言葉や文字にすることはとてもたやすい。
まちがいなく、あの時はそう思っていた。
しかし、今はどうだろう。あの時のような熱い気持ちではなくなっている。
原点に返るとはどういうことだろう。
そのときに思ったことをデータとして記憶していてもどうしても、以前のようにはいかない。
というよりも、そもそもの原点でさえも幻想だったのではないかという一つの不信感にも似た違和感があるのだ。
5年前に信じて頑張ろうと思っていたことが、間違いだったとまでは言わないが、どうも少しずれていたとしたらどうだろうか。
僕はいま、自分のやっていることに意味を見出す事が出来なくなっているのかもしれない。
今も5年前も最終目標はかわらずちゃんとある。それに対しての熱い気持ちは今でもこの胸にしっかりと大事に持っている。
それでも、留学という手段に疑問を感じずにはいられなくなってしまったようだ。
留学という一つの選択も僕のやりたいことではあったが、本当にやりたいことをやるべきだったのかもしれない。
父からの手紙を読んでいる時、とても辛かった。胸が締め付けられるように痛かった。
やましい気持ちでうそをついている時のように父の言葉に素直に目を向けることが難しかった。
時間はない。あるようで、もうすぐそこまで、決断の時が足音を立てて近づいて来ているのが分る。
どのような結果になろうと、自分の決断には責任を持たなければならない。
信念の言葉を胸に俺は進む。
道しるべなどない人生という道を、見えない18thホールのフラッグに向かって進むように、不確かな方角だけを頼りに手探りで進みづづけなければならない。
父の手紙に感謝したい。また、色々と考えさせられる事が多くあったから。
April 20, 2010
March 15, 2010
キリスト教、仏教、そして価値観。
今日は日曜日。ルームメイトに連れられて、教会に行ってきました。
何年ぶりだろう。留学したての頃にホストに連れて行ってもらってたっきりだったから、実に5年近くぶり。
毎回誘われてはいたんだけど、前行ってたからどういう所かは分ってたつもりだったし改宗するつもりも全くなかったから何とか理由つけて断ってきてた。それに何と言っても、あの場の空気がなんとなく好きにはなれなかったんだよね。
まぁ、宗教に関しては穏健派とでも言いましょうか、おおむね理解はあると僕自身は思っています 笑。
宗教なんかがあるから問題(大きくなると戦争)が起きるんだという意見も事実だと思います。でも、それが全てでもない。・・・と、思っています。
僕の意見を最初に言っておくと、『宗教はあっていい』と結論付けてからの展開としましょう。
今回、久しぶりにクリスチャンの教会に行ってきたんだけど、熱心な信者さんたちがたくさん!!
今風に言えば『ガチ』な人ばかりでした。
そんなに教会って行った事ないから何とも言えないんだけど、俺が今まで行ってきた教会に限って言えば、建物自体が市民ホールのような感じで軽い演奏会やイベントならできるようなつくりだった。ダヴィンチ・コードを彷彿とさせるような大聖堂でやるイメージがあったので初めて行ったときは身構えて行った割に拍子抜けでした。(←見た目ね。)公共施設としても使えるみたい。
久しぶりの教会で色々考えさせられる事ばかりだったんだけど、一つがエンターテイメント性。
有志のバンドがあって、ロック調のホーリーソングを延々と歌う姿は目に焼きつくものがあると思う。
もちろん歌詞は、どれだけ神が偉大で、どんなに辛く苦しい時でも、心の支えになって救いの手を差し伸べてくれて・・・・というような歌詞をみんな純粋に両手を広げて天を仰ぎながら熱唱する。中にはステージの手前で涙を流しながらひざを突き、同じように両手を天井にかざす人や胸の前で両手を合わせ祈るような仕草で歌う人も。
ステージ上のバンドは言ってしまえば、ヒットソングを大観衆の中で歌い上げる超人気バンド。
実際、上手いしかっこいい!!!!アメリカの音楽はこういうところがあるから育つのかなとも感心してしまった。
と、同時に、ホーリーソングを常に今風にアレンジして提供することが出来ているから、アメリカ国内でのクリスチャン人口が健在なんだと思い知らされた。
次に考えさせられたのがバイブル(聖書)について。
はっきりといわせてもらうと、むずかしい・・・。え?どいうこと??ばっかり。聖書が変なこと言ってるとかではなくて、単に理解するのが難解です。でした。。。
それがこれで、これがそれで、あれ??みたいな。
僕が知ってる毎週の大まかな活動は大きく分けて歌うことと聖書を読むことの2つだろうと思います。
ホーリーソングに心を震わすほど歌うだけ歌ったら、牧師さん的な人のレクチャーになります。一章・一節ずつ、どういうことを聖書が言いたいのかということを分りやすく時間をかけて説いていきます。
まぁ、ふんだんに使われるアメリカンジョークが苦手なせいで、放送禁止用語が入って文脈が抜け落ちたようになってぽかーんな事が多いんですけど 笑。
そこで思ったのが自分の場合(仏教)はどうなってるんだろう?ということ。
クリスチャンの塊の中で生活しているとどうしても、僕のことについても聞かれる事が多々あります。
おそらく、多くの日本人と同様に宗教にたいして十分な知識はない分類に入ると思います。それでも、ブディズム(仏教)だという事は言うようにしています。
じゃあ、キリスト教ではこうなんだけど君の仏教ではどうなの??と聞かれれば、口ごもってしまう。
じゃあ、仏教って何??って聞かれれば、簡単な歴史くらいしか説明できない。
キリスト教では聖書の中で明確な言葉を使い『イエスの説いた教え』を表現する。
世界最大・最高のベストセラーとも言われる聖書だけあって、どこででも簡単に手に入れることが出来る。特定の日になると学校の中でもポケットサイズの聖書の手渡しをやっている。
これ一冊あれば、人並みに文字を読むことが出来て多少なり難しい表現も理解できるだけの感が働くのならば、「イエス・キリストは常に汝と共にある」と言えるのだろう。
それじゃあ、仏教でキリスト教の聖書に当たるものは何なんだろうって考えてみた。
釈迦の教えを説いたものだからこれは経典になると思う。
経典って大きく分けても9つもあるらしい。そこから更に細かくなるものもあるみたい。(←今調べた)
俺(浄土宗)の阿弥陀経{あみだきょう}みたいに。
仏教にもバイブルなるものが存在した。
でも、誰が持ち歩いてるかな?はっきり言って、お仏壇の前くらいでしかお目にかかることはめったにない。
ましてや、家に仏壇がない家庭なんて五万とあるだろうしお経自体を目にしたことがない人だってその倍以上いたっておかしくない。
日本国内を見てみて、仏教じゃ積極的な布教活動は見られないと思う。
縦の社会、つまり家代々の宗教の流れの中で法事(のように定期的なもの)を執り行うことで寺を維持出来ているのかもしれない。
逆にアメリカでのキリスト教会への勧誘はとっても積極的で、カードやオリジナルムービーを作るだけじゃなくて、教会に来る一人ひとりが歩く広告となって誘ってくる。
それと似て積極的な布教活動を行っているのが創価学会だ。
日本での活動はさることながら、こちらアメリカでの仏教徒に限った人口図を作れば学会員の人数が圧倒的に多い用に感じる。
どちらがいいかはわからない。
俗物に目がくらんだ坊さんもいるみたいだけど、贅沢や欲を言わないのが仏教なのも分るけど、もう少し積極的に布教してもらってもいいと思う。
多くのアメリカ人の中には宗教というものが一つのアイデンティティーとして、誇るべきものとしてある。
そしてそれが一つの社会を作り大きく生活に影響するものでもある。
逆に日本では、ネガティブなイメージが先行しがちだと思う。
宗教=危険の方程式は成り立たない。
熱心なのはいいが、他を受け入れられないような度を過ぎる信仰になって来た時に初めて危険になるのだと思う。
それ自体はまったくいけないものだとは思わない。
宗教が人の支えになってきたことは事実だし、それによって社会が発展してもきた。
そして、宗教がこれまで果たしてきた一番大きな役割として人に人としての道徳を説いてきたことがあると思う。
たしかに、キリスト教・仏教・イスラム教それぞれ全く同じ事を言ってるとは思わない。
それぞれが生まれた場所、発展してきた道、行き着いた場所が違うのだからそれは当たり前だ。
それでも、大まかな言いたい事は同じ又は似ているような気がする。
最後に僕の宗教観において宗教とは聖書や経典、コーランを読み上げれば天国に逝けたり全ての災いから自分を完璧に守ってくれるような魔法の言葉では決しないと思っています。
産まれたばかりの宗教や、上手く発展した宗教の中には、人としての道徳を身につけることがどれだけ大切であって、どうすれば習得できるかが含まれていると考えます。
冒頭にも言ったんだけど、実際僕は何かの宗教ひとつにおいても熱心にやっているわけではありません。
僕が出会ったのは宗教とはまた少し違った論語というものです。
世界の三大聖人として、イエス・キリスト、釈迦牟尼と肩を並べて、孔子が入ります。
次にイスラム教のムハンマドがきますが、ここでは抜きにします。
その孔子の教えをまとめた一つが論語でそのなかでも大学を読みました。
神様がどうのこうのとか、死んだら云々といってるわけではありません。
人としての生活のあり方をいってるだけです。
でも、それが道徳なのだと思います。
偏見にも似たネガティブなイメージの宗教に対する厳しい目が緩む事を切に願います。
それでも、その目でしっかりと宗教について見極める事も大切だと思います。
何年ぶりだろう。留学したての頃にホストに連れて行ってもらってたっきりだったから、実に5年近くぶり。
毎回誘われてはいたんだけど、前行ってたからどういう所かは分ってたつもりだったし改宗するつもりも全くなかったから何とか理由つけて断ってきてた。それに何と言っても、あの場の空気がなんとなく好きにはなれなかったんだよね。
まぁ、宗教に関しては穏健派とでも言いましょうか、おおむね理解はあると僕自身は思っています 笑。
宗教なんかがあるから問題(大きくなると戦争)が起きるんだという意見も事実だと思います。でも、それが全てでもない。・・・と、思っています。
僕の意見を最初に言っておくと、『宗教はあっていい』と結論付けてからの展開としましょう。
今回、久しぶりにクリスチャンの教会に行ってきたんだけど、熱心な信者さんたちがたくさん!!
今風に言えば『ガチ』な人ばかりでした。
そんなに教会って行った事ないから何とも言えないんだけど、俺が今まで行ってきた教会に限って言えば、建物自体が市民ホールのような感じで軽い演奏会やイベントならできるようなつくりだった。ダヴィンチ・コードを彷彿とさせるような大聖堂でやるイメージがあったので初めて行ったときは身構えて行った割に拍子抜けでした。(←見た目ね。)公共施設としても使えるみたい。
久しぶりの教会で色々考えさせられる事ばかりだったんだけど、一つがエンターテイメント性。
有志のバンドがあって、ロック調のホーリーソングを延々と歌う姿は目に焼きつくものがあると思う。
もちろん歌詞は、どれだけ神が偉大で、どんなに辛く苦しい時でも、心の支えになって救いの手を差し伸べてくれて・・・・というような歌詞をみんな純粋に両手を広げて天を仰ぎながら熱唱する。中にはステージの手前で涙を流しながらひざを突き、同じように両手を天井にかざす人や胸の前で両手を合わせ祈るような仕草で歌う人も。
ステージ上のバンドは言ってしまえば、ヒットソングを大観衆の中で歌い上げる超人気バンド。
実際、上手いしかっこいい!!!!アメリカの音楽はこういうところがあるから育つのかなとも感心してしまった。
と、同時に、ホーリーソングを常に今風にアレンジして提供することが出来ているから、アメリカ国内でのクリスチャン人口が健在なんだと思い知らされた。
次に考えさせられたのがバイブル(聖書)について。
はっきりといわせてもらうと、むずかしい・・・。え?どいうこと??ばっかり。聖書が変なこと言ってるとかではなくて、単に理解するのが難解です。でした。。。
それがこれで、これがそれで、あれ??みたいな。
僕が知ってる毎週の大まかな活動は大きく分けて歌うことと聖書を読むことの2つだろうと思います。
ホーリーソングに心を震わすほど歌うだけ歌ったら、牧師さん的な人のレクチャーになります。一章・一節ずつ、どういうことを聖書が言いたいのかということを分りやすく時間をかけて説いていきます。
まぁ、ふんだんに使われるアメリカンジョークが苦手なせいで、放送禁止用語が入って文脈が抜け落ちたようになってぽかーんな事が多いんですけど 笑。
そこで思ったのが自分の場合(仏教)はどうなってるんだろう?ということ。
クリスチャンの塊の中で生活しているとどうしても、僕のことについても聞かれる事が多々あります。
おそらく、多くの日本人と同様に宗教にたいして十分な知識はない分類に入ると思います。それでも、ブディズム(仏教)だという事は言うようにしています。
じゃあ、キリスト教ではこうなんだけど君の仏教ではどうなの??と聞かれれば、口ごもってしまう。
じゃあ、仏教って何??って聞かれれば、簡単な歴史くらいしか説明できない。
キリスト教では聖書の中で明確な言葉を使い『イエスの説いた教え』を表現する。
世界最大・最高のベストセラーとも言われる聖書だけあって、どこででも簡単に手に入れることが出来る。特定の日になると学校の中でもポケットサイズの聖書の手渡しをやっている。
これ一冊あれば、人並みに文字を読むことが出来て多少なり難しい表現も理解できるだけの感が働くのならば、「イエス・キリストは常に汝と共にある」と言えるのだろう。
それじゃあ、仏教でキリスト教の聖書に当たるものは何なんだろうって考えてみた。
釈迦の教えを説いたものだからこれは経典になると思う。
経典って大きく分けても9つもあるらしい。そこから更に細かくなるものもあるみたい。(←今調べた)
俺(浄土宗)の阿弥陀経{あみだきょう}みたいに。
仏教にもバイブルなるものが存在した。
でも、誰が持ち歩いてるかな?はっきり言って、お仏壇の前くらいでしかお目にかかることはめったにない。
ましてや、家に仏壇がない家庭なんて五万とあるだろうしお経自体を目にしたことがない人だってその倍以上いたっておかしくない。
日本国内を見てみて、仏教じゃ積極的な布教活動は見られないと思う。
縦の社会、つまり家代々の宗教の流れの中で法事(のように定期的なもの)を執り行うことで寺を維持出来ているのかもしれない。
逆にアメリカでのキリスト教会への勧誘はとっても積極的で、カードやオリジナルムービーを作るだけじゃなくて、教会に来る一人ひとりが歩く広告となって誘ってくる。
それと似て積極的な布教活動を行っているのが創価学会だ。
日本での活動はさることながら、こちらアメリカでの仏教徒に限った人口図を作れば学会員の人数が圧倒的に多い用に感じる。
どちらがいいかはわからない。
俗物に目がくらんだ坊さんもいるみたいだけど、贅沢や欲を言わないのが仏教なのも分るけど、もう少し積極的に布教してもらってもいいと思う。
多くのアメリカ人の中には宗教というものが一つのアイデンティティーとして、誇るべきものとしてある。
そしてそれが一つの社会を作り大きく生活に影響するものでもある。
逆に日本では、ネガティブなイメージが先行しがちだと思う。
宗教=危険の方程式は成り立たない。
熱心なのはいいが、他を受け入れられないような度を過ぎる信仰になって来た時に初めて危険になるのだと思う。
それ自体はまったくいけないものだとは思わない。
宗教が人の支えになってきたことは事実だし、それによって社会が発展してもきた。
そして、宗教がこれまで果たしてきた一番大きな役割として人に人としての道徳を説いてきたことがあると思う。
たしかに、キリスト教・仏教・イスラム教それぞれ全く同じ事を言ってるとは思わない。
それぞれが生まれた場所、発展してきた道、行き着いた場所が違うのだからそれは当たり前だ。
それでも、大まかな言いたい事は同じ又は似ているような気がする。
最後に僕の宗教観において宗教とは聖書や経典、コーランを読み上げれば天国に逝けたり全ての災いから自分を完璧に守ってくれるような魔法の言葉では決しないと思っています。
産まれたばかりの宗教や、上手く発展した宗教の中には、人としての道徳を身につけることがどれだけ大切であって、どうすれば習得できるかが含まれていると考えます。
冒頭にも言ったんだけど、実際僕は何かの宗教ひとつにおいても熱心にやっているわけではありません。
僕が出会ったのは宗教とはまた少し違った論語というものです。
世界の三大聖人として、イエス・キリスト、釈迦牟尼と肩を並べて、孔子が入ります。
次にイスラム教のムハンマドがきますが、ここでは抜きにします。
その孔子の教えをまとめた一つが論語でそのなかでも大学を読みました。
神様がどうのこうのとか、死んだら云々といってるわけではありません。
人としての生活のあり方をいってるだけです。
でも、それが道徳なのだと思います。
偏見にも似たネガティブなイメージの宗教に対する厳しい目が緩む事を切に願います。
それでも、その目でしっかりと宗教について見極める事も大切だと思います。
February 4, 2010
ファイナル終了。
やっと終わった。
いやぁ、Winter Session in 2010も今日で終わりを告げて去って行ってくれました。
わずか4週間!!!普通だったら 1Semester(3month)をかけてやる量をたったの4週間たらずでやってしまおうってんだから、頭あがんないわ。
しかも、Californiaの金欠のおかげでFurlough Dayなるものまである始末。。。。
おいおい・・・。
しかもしかも、土日休暇に加えてHolidayまでしっかりと取らせてくれるありがたい学校。。。
おいおいおいおいおい・・・・・・。
月曜と水曜日だけしかないクラスなのに??
月曜日が祝日で、水曜がFurloughだったら????
おかまい無しに2週間の休みだよねぇ。
おいおいおいおいおいおい・・・・・・・・・。
というわけで実際には3週間分に詰め込まされたよ。
キツかった!!
冬セメもめちゃくちゃ早かったけど、最後の1週間はとてつもなく長く感じた。
最後の週末からはまじで時間との闘いだったよ。
『時間ねぇ!!やべぇ!!!』なんていいながら最後の3日間ほどは徹夜。
体がいたむ・・・。
とりあえず、終わってよかった。
やることはやったし、もう結果は気にしたくない。というのもただ今は考えたくないだけだけど 笑!!
だから、とりあえず寝るわ。
何杯コーヒー飲んだか分らない胃袋をいたわる為に。
どれだけ、文字を書いたか分らない腕を休める為に。
そして、最高に発狂してしまいたいほど崩壊寸前にある自分を抑える為に。
寝よう。
おつかれ、自分。
いやぁ、Winter Session in 2010も今日で終わりを告げて去って行ってくれました。
わずか4週間!!!普通だったら 1Semester(3month)をかけてやる量をたったの4週間たらずでやってしまおうってんだから、頭あがんないわ。
しかも、Californiaの金欠のおかげでFurlough Dayなるものまである始末。。。。
おいおい・・・。
しかもしかも、土日休暇に加えてHolidayまでしっかりと取らせてくれるありがたい学校。。。
おいおいおいおいおい・・・・・・。
月曜と水曜日だけしかないクラスなのに??
月曜日が祝日で、水曜がFurloughだったら????
おかまい無しに2週間の休みだよねぇ。
おいおいおいおいおいおい・・・・・・・・・。
というわけで実際には3週間分に詰め込まされたよ。
キツかった!!
冬セメもめちゃくちゃ早かったけど、最後の1週間はとてつもなく長く感じた。
最後の週末からはまじで時間との闘いだったよ。
『時間ねぇ!!やべぇ!!!』なんていいながら最後の3日間ほどは徹夜。
体がいたむ・・・。
とりあえず、終わってよかった。
やることはやったし、もう結果は気にしたくない。というのもただ今は考えたくないだけだけど 笑!!
だから、とりあえず寝るわ。
何杯コーヒー飲んだか分らない胃袋をいたわる為に。
どれだけ、文字を書いたか分らない腕を休める為に。
そして、最高に発狂してしまいたいほど崩壊寸前にある自分を抑える為に。
寝よう。
おつかれ、自分。
January 10, 2010
部屋を一新!!
俺の部屋ってめちゃくちゃ狭くて、ベッドの上以外じゃ手足を思うように伸ばせるほど広くはなかったんです。
ストレッチしたくても床に足伸ばせないから廊下でやったり・・・。
いやっ、俺の部屋が散らかってるからとかいうんじゃなくって、家具の配置の仕方がおかしかったんだと思う。
しょうもないようなスペースが所々にあって、一箇所に集まってなかったから、その辺を考えて机の位置とか、使ってないちょっとした引き出しなんかの置き場所を変えたりしてけっこうなスペースを確保する事に成功しました!!!!
クローゼットなんかも服なんて数着しかハンガーで掛けれないほど小さく・・・・・。
そこんとこも、つるすタイプの収納ケースなんかを使って工夫。
別に使わないわけじゃないから仕舞うわけにはいかない。
他にもスーツケースなんかも狭いクローゼットに置いてたんだけど、必要なものだけ取り出して一階の食料ストレージの奥へ~。
結果、かなり広く使えるようになったと思う。
カナリ快適よぉ。
ただ、本を置くところがない。。。
新しいセメスターが始まる前にどうにかしないと!!!
今のところ、数冊だけしかないから大丈夫なんだけど、それでも床におくことも。
持ってる本棚を組み立てようかな 笑。
January 4, 2010
質問を贈る。
あれは忘れもしない思い出。
中3の時に友達と2人で詩の朗読会に参加したことがあってさ、これがまたみんなも知ってる人!!!
『谷川俊太郎』さんです!!!多くの世代の小学校で国語の教科書に必ずと言ってもいいくらい載ってたと思う。
あの有名な鉄腕アトムの主題歌の歌詞を作ったのもこの人。
『空をこえて~ ラララ 星のかなた~♪♪・・・』ってやつ。
そんな谷川俊太郎さんが近で朗読会をするらしいから行こうって誘われて、こんな機会はめったにないだろうなと思い行った事がありました。
その当時はまだ中学3年だったんだけど、こういうのに行くのって結構、恥ずかしいよね???・・・。
しかも、どこかの市民ホールとかでステージに俊太郎さんがいるもんだと思ったら、着いた先は普通の民家。。。
ちょっと違うところといったらやたらと居心地のいい家で、とても落ち着いた雰囲気だなぁって事は覚えてる。
そんなに広くはないんだけど、椅子とかテーブルなんかは置いてなくて部屋の隅に一台のピアノ。
そして、ピアノを囲むようにしてみんな床に座ってた。
俺と友達の2人を除けば、ほとんど小学生だったんじゃないかな??中には中一年生かなってのも。
その夜は谷川俊太郎さんだけが朗読するばかりじゃなくてみんなと一緒に声を合わせて読み上げた。
鉄腕アトムを渡された歌詞に目をやりながらみんなで歌ったよ。ww
何回も歌ったような気がする。谷川俊太郎さんのピアノの伴奏に合わせて♪
ここからが本題なんだけどさ、その日の朗読会が終わったわけだよ。
みんな、谷川俊太郎さんにありがとうございますとか、サイン下さいとかって俊太郎さんの詩集を渡してたりしてたわけだ。
俺も、これで帰るにはもったいなさ過ぎると思ってさ、玄関入ったところでいくつか俊太郎さんの本を販売してたから一冊買って、サインをもらおうと列に並んだわけよ。
ところが、サインだけじゃどうも物足りなかったんだろうね。
俊太郎さんにいきなり、即興で詩を作ってもらえないか??・・・・と・・・。
もっと、色々といったと思うんだ。今年が中学校最後の年だとか、生徒会長やってるんですとか。そこんとこはよくおぼえてないんだけど。
やっぱり、まわりにいるスタッフさん達は何言ってるの??って感じだよね。
でも、俊太郎さんは一つの言葉を書いてくださいました。
『君に答えはおくらない。質問をおくる。』この一節。
全くその意味が分らなかったけど、お礼を言ってその民家を後にしました。
いまだにその意味が良く分らないんだよね。
何となくには感じてるんだけど、これだ!!っていうのが。。。
『少年よ。悩みに悩みたまえ。』って事かな?
『若いんだから物事のいろんなことに対して疑問を持ちなさい』って事かな?
色々考えたけど、いまだに腑に落ちない問題。
君に質問を贈る。
か・・・。
中3の時に友達と2人で詩の朗読会に参加したことがあってさ、これがまたみんなも知ってる人!!!
『谷川俊太郎』さんです!!!多くの世代の小学校で国語の教科書に必ずと言ってもいいくらい載ってたと思う。
あの有名な鉄腕アトムの主題歌の歌詞を作ったのもこの人。
『空をこえて~ ラララ 星のかなた~♪♪・・・』ってやつ。
そんな谷川俊太郎さんが近で朗読会をするらしいから行こうって誘われて、こんな機会はめったにないだろうなと思い行った事がありました。
その当時はまだ中学3年だったんだけど、こういうのに行くのって結構、恥ずかしいよね???・・・。
しかも、どこかの市民ホールとかでステージに俊太郎さんがいるもんだと思ったら、着いた先は普通の民家。。。
ちょっと違うところといったらやたらと居心地のいい家で、とても落ち着いた雰囲気だなぁって事は覚えてる。
そんなに広くはないんだけど、椅子とかテーブルなんかは置いてなくて部屋の隅に一台のピアノ。
そして、ピアノを囲むようにしてみんな床に座ってた。
俺と友達の2人を除けば、ほとんど小学生だったんじゃないかな??中には中一年生かなってのも。
その夜は谷川俊太郎さんだけが朗読するばかりじゃなくてみんなと一緒に声を合わせて読み上げた。
鉄腕アトムを渡された歌詞に目をやりながらみんなで歌ったよ。ww
何回も歌ったような気がする。谷川俊太郎さんのピアノの伴奏に合わせて♪
ここからが本題なんだけどさ、その日の朗読会が終わったわけだよ。
みんな、谷川俊太郎さんにありがとうございますとか、サイン下さいとかって俊太郎さんの詩集を渡してたりしてたわけだ。
俺も、これで帰るにはもったいなさ過ぎると思ってさ、玄関入ったところでいくつか俊太郎さんの本を販売してたから一冊買って、サインをもらおうと列に並んだわけよ。
ところが、サインだけじゃどうも物足りなかったんだろうね。
俊太郎さんにいきなり、即興で詩を作ってもらえないか??・・・・と・・・。
もっと、色々といったと思うんだ。今年が中学校最後の年だとか、生徒会長やってるんですとか。そこんとこはよくおぼえてないんだけど。
やっぱり、まわりにいるスタッフさん達は何言ってるの??って感じだよね。
でも、俊太郎さんは一つの言葉を書いてくださいました。
『君に答えはおくらない。質問をおくる。』この一節。
全くその意味が分らなかったけど、お礼を言ってその民家を後にしました。
いまだにその意味が良く分らないんだよね。
何となくには感じてるんだけど、これだ!!っていうのが。。。
『少年よ。悩みに悩みたまえ。』って事かな?
『若いんだから物事のいろんなことに対して疑問を持ちなさい』って事かな?
色々考えたけど、いまだに腑に落ちない問題。
君に質問を贈る。
か・・・。
January 2, 2010
年も明けて。
2009も過ぎて2010年がやってきちゃった。
去年は一個も記事書かなくて・・・。
今年は、色々と変わりたいな。
去年一年間を振り返って見て自分なりに点数をつけるならマイナス100点。
何もかもがダメダメでした。
だから、この一年はなんとしてでも立ち直りたい!!!
自分らしさを取り戻す一年にしたい!!!!!・・・・そう、思わずにはいられません。
一年の計は元旦にあり。っていいますよね。
ホントにそうだと思う。
実際には寝正月になっちゃったんだけどね。
いくつか、この一年を有意義にするために温めてきた目標があります。
一つ、12月のホノルルマラソンに参加する。
一つ、趣味を見つける。
一つ、一年を通してお酒を飲まない。
一つ、やることを後回しにしない。
最後の一つは基本的なことだけど、今の自分の一番いけないところだからこれを直さなきゃ何も変えられないと思う。その上の三つは、具体的な目標を持つことが一番自分のモチベーションを高く持っていけるという事で考えました。
まぁ~、マラソンは一年を通してトレーニングして最後に自分の力試しも兼ねて立ててみました。
趣味はもう、あるんだよね。スタートできてないけど、このブログと平行してカメラもやりたい。
お金なくてカメラ買うのが遅れてるんだけど、これも必ず夏までにスタートしたいな。
お酒は例外なく、一滴も飲まない。やっぱり、今までが飲みすぎるのが多かったせいもあるんだけど、時間がもったいないよね。飲んでるときは楽しいんだけど、次の日もまるまる無駄にしちゃう事が多かったから。。。
ずっと、思ってたことなんだけど、今の俺は俺じゃないような気がしてたまんないんだよね。
自信のなさの塊みたいで、前の自分じゃないんだ。
小・中・高 の時の自分が一番良かったと思う。
だから、俺の輝きを取り戻す一年にしたい。
くすみまくった力哉が2010年の終わりにはどんなになってるか楽しみだ。
長くなりすぎたけど、一年の始まりということで今年の決意を書いてみました。
みなさん、2010年もどうかよろしくお願いします。
去年は一個も記事書かなくて・・・。
今年は、色々と変わりたいな。
去年一年間を振り返って見て自分なりに点数をつけるならマイナス100点。
何もかもがダメダメでした。
だから、この一年はなんとしてでも立ち直りたい!!!
自分らしさを取り戻す一年にしたい!!!!!・・・・そう、思わずにはいられません。
一年の計は元旦にあり。っていいますよね。
ホントにそうだと思う。
実際には寝正月になっちゃったんだけどね。
いくつか、この一年を有意義にするために温めてきた目標があります。
一つ、12月のホノルルマラソンに参加する。
一つ、趣味を見つける。
一つ、一年を通してお酒を飲まない。
一つ、やることを後回しにしない。
最後の一つは基本的なことだけど、今の自分の一番いけないところだからこれを直さなきゃ何も変えられないと思う。その上の三つは、具体的な目標を持つことが一番自分のモチベーションを高く持っていけるという事で考えました。
まぁ~、マラソンは一年を通してトレーニングして最後に自分の力試しも兼ねて立ててみました。
趣味はもう、あるんだよね。スタートできてないけど、このブログと平行してカメラもやりたい。
お金なくてカメラ買うのが遅れてるんだけど、これも必ず夏までにスタートしたいな。
お酒は例外なく、一滴も飲まない。やっぱり、今までが飲みすぎるのが多かったせいもあるんだけど、時間がもったいないよね。飲んでるときは楽しいんだけど、次の日もまるまる無駄にしちゃう事が多かったから。。。
ずっと、思ってたことなんだけど、今の俺は俺じゃないような気がしてたまんないんだよね。
自信のなさの塊みたいで、前の自分じゃないんだ。
小・中・高 の時の自分が一番良かったと思う。
だから、俺の輝きを取り戻す一年にしたい。
くすみまくった力哉が2010年の終わりにはどんなになってるか楽しみだ。
長くなりすぎたけど、一年の始まりということで今年の決意を書いてみました。
みなさん、2010年もどうかよろしくお願いします。
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